鍵屋浦

 淀川三十石船というのは、江戸時代、京都の伏見から大阪八軒家の間を周航した客船で、定員28名、加子(船員)4名、1日上り下り各昼夜一便ずつ運行していたそうです。

 船の大きさは諸説ありますが、枚方市史等によると、長さ5丈6尺(約17メートル)、巾8尺3寸(約2.5メートル)、吃水2尺(約60センチメートル)位とのことです。

 その船が鍵屋浦のあたりにさしかかると煮売茶船が「もちくらわんか」「すしくらわんか」と漕ぎ寄せて、すし、もち、ごんぼ汁や酒等を売ったのが「くらわんか船」で、呼び声からその名が付いたそうです。

 この作品は、普段は枚方市の「くらわんかギャラリー」に行けば見ることができます。

撮影 スタジオPAL 前田清一





 枚方市にて初の個展を開いた際に、本作品も展示されました。
 人形のみならず、船も河本二三子による製作です。